2011年06月26日

阿部作二さんのこと (1)

阿部さんが亡くなって、1ヶ月が経とうとしている。

この間、何度となく筆をとりかけては果たせずにいた。私に阿部さんについて語る資格などあるはずもなく、また私自身、阿部さんを失った現実を受け止めきれていない。そもそも、「音響効果」という仕事を説明する言葉の持ち合わせがない。どう語っても誤解を招かずにはおかない。
それでも、斯界の大先輩について少しでも語り継ぐのは後輩の責任だとも思う。

せめて阿部さんがどんな仕事をしたかという客観ではなく、私個人が、阿部さんの仕事ぶりに接してどう感じたかという主観を、1つ2つ書きとめておきたい。



私が阿部さんに初めてお会いしたのは、1990年代のはじめ、戦隊シリーズをつうじてだった。
『鳥人戦隊ジェットマン』『恐竜戦隊ジュウレンジャー』『五星戦隊ダイレンジャー』……
私はただの新入社員。方や、テレビ草創期から東映大泉を支えるベテラン音響効果技師。
しかし当時の私は、先達に会って首を垂れる殊勝な心がけはカケラもない。むしろ「まず旧世代を一掃することから始める」とすら思い込んでいる生意気盛り。
そんなクソ生意気な人間が、阿部さんの仕事をどう見たか、という話である。


このころの戦隊シリーズは、16ミリフィルム撮影/サイレント───いわゆるオールアフレコスタイルで制作されていた。セリフを撮影現場では録らず、後日スタジオで収録する。当然ながらセリフにとどまらず、効果音もアテなければいけない。人の足音やドアの開け閉め、街ノイズといった日常音から、巨大ロボの合体音まで、あらゆる音響効果を手がけていたのが阿部さんだった。

「オールアフレコ」とは呼んでも、「オール効果音」とは誰も呼ばない。
音響効果が下に見られているからではない。アフレコは「みんな」の作業だが、効果音は「ひとり」だからだ。アフレコは、キャストや監督をはじめ、現場のセリフを記録するスクリプター、作業を仕切る演出部といった多数の人が入り乱れ、時として撮影よりも注目を浴びる一大イベント。一方、よくも悪くも効果音は、音響効果技師ひとりの世界である。
なぜ「よくも悪くも」かは後で述べる。


当時の音の仕上げには、シネテープという、16ミリフィルムとそっくり同じ形をした磁気テープが使われていた。これを、映像のフィルム(ラッシュプリント)といっしょに専用の映写機に「よーいドン」でかけることによって、映像と音を同期させる仕組みである。
ラッシュプリントの効果音が入る箇所(たとえば爆発の瞬間のコマ)に、あらかじめ、デルマ(ダーマトグラフ)と呼ばれる油性色鉛筆で印をつけておく。それを映写しながら、「よーいドン」で6ミリ幅のオープンリールデッキを操作し、絵に合わせて効果音をシネテープに録音していくのが阿部さんの作業だ。
オープンリールデッキは何台もあり、タイミングによって使い分けたり、テープを掛け替えたりする。足音やアクション音のように連続する音は、あらかじめそれっぽく編集するが、映写と合わせると当然タイミングがズレる。それを、テープをハサミで切った貼ったして調節し、絵にすり寄せていく。

よく言えば職人芸の世界。
だが、当時の私には、まったくよくは思えなかった。


このころ、ビデオ作品の MA スタジオ等ではMTR(マルチトラックレコーダ)が普及しつつあり、16や32といった数のトラックを駆使して、緻密に調整することができるようになっていた。
阿部さんが何台ものデッキをガチャガチャいじったり、テープを切った貼ったしている姿は、いかにも職人っぽく見えたとしても、「緻密さ」からはほど遠い。外ではタイムコードで絵と音を管理し、「この音、5フレ遅らせて」とかフレーム単位で微調整しているというのに、色鉛筆でフィルムにバッテンを描いては、デッキをガチャガチャ……。
適当にもほどがある。はっきり言って、アナログどころかアナクロだ。

その上、やっつけ仕事の温床になる。音響効果は孤独だ。だが、そのぶん自由だ。誰にも気がねせず、手抜きもできる。なにしろデッキガチャガチャの世界で、タイミングなんか絶対に合うはずもない。適当にやったってバレやしない。

こうした、旧態依然たる制作体制の上に旧来のスタッフがあぐらをかき、十年一日のごとく、アバウトに仕事をこなしている───そんな状況を打破するのが、自分の使命かもしれないとすら思っていた。
音響効果をめぐる作業に関しては当時のフィルム仕上げ一般の話でもあり、とくに阿部さんが、というわけではないのけれども、そうした《旧世代》の1人とみなしていたことを告白する。


その認識が大間違いだと知るのに、そう長い時間はかからなかった。


あるとき。
番組の放送を見ていて(当時は金曜17:30〜)、かすかな違和感を感じた。
「何か変だ!」
と、オフィスの誰に訴えても「そう?」という反応しかない。しかし、たまたま通りかかった阿部さんをつかまえて見てもらったら、一瞥して言うことには、

「音が絵に2コマ遅れてるね」

当時、完成作品としてフィルム(絵)とシネテープ(音)を納品し、局側で絵と音を合わせ直して放送していた。その同期が、たかが2コマ(0.08秒)くらいズレたところで、視聴者もスタッフも気づかない。
ただひとり、阿部さんを除いて……。
検証作業が行なわれ、たしかに、2コマズレていたことが確認された。


私は思い知った。
「デルマでバッテン、デッキをガチャガチャ」がアバウトだなんて、思い違いにも程があった。
ちょっと考えれば思いいたるはずだった。たった1コマしか映し出されない色鉛筆のマーキングに、リアルタイムで音を合わせる作業の緻密さを。

改めて阿部さんの仕事ぶりを拝見すると、適当にガチャガチャやってるようにしか見えない阿部さんのデッキ操作には、1コマの狂いもなかった。私のような素人目に、1コマは一瞬でしかないが、阿部さんにとっては、それに合わせてジャストミートできる十分な時間だった。しかも、傍目にはアバウトにさえ見える余裕まで持って。
職人芸と言って済ませられるレベルではない。阿部さんの時間感覚と技術は、そこまで研ぎすまされていた。


そうした事実を突きつけられ、生意気盛りの私も、阿部さんの凄みの前にひれ伏した。
だが。
この《事件》は後々まで尾を引く。


この出来事は、局においてフィルムを扱う技術がもはや廃れているという事実を突きつけると同時に、「局にフィルムを納品すること自体が時代遅れだ」という主張を活発化させる引き金の役割を果たした。
その流れはやがて、阿部さんの存在意義を揺るがせる風評を形づくることになる。
(2) につづく


ちなみに、デッキガチャガチャ(業界用語で「ポン出し」という)対MTR(マルチトラックレコーダ)の戦いには、阿部さんのあずかり知らぬ場所でも場外乱闘があった。(3) があったら書くかもしれないので備忘としてメモしておきます。
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2011年06月22日

【映画】『ジェリーフィッシュ』(2007 イスラエル/フランス)は語れない

BS11で放送されていたのを観た。

メインヒロインが(群像劇なのだ)、海から現れた浮き輪の少女と出会うところから、映画のワールドが始まる。少女は喋らず、身元は不明。だが決して浮き輪を手放そうとはしない。ヒロインは2日間だけ、少女を預かることになるのだが……。

といった滑り出し。
なかなかキャッチーだ。
だが、この浮き輪少女の謎を追ったり、交流を描いたりとかはまったくない。

この映画の軸となっているのは、そうしたストーリーではなく、どうやら全編を貫く「水」モチーフなのだ。

海辺の町テルアビブ。海から現れた少女。「クラゲ」。子供に船を買いたい。天井から水漏れ。水没する部屋。「アイスおじさん」。雨。トイレで骨折。カリブ海のつもりが、窓から海が見えないホテルの部屋は下水のニオイ。引越トラックのペイント……

繰り返し繰り返し、執拗なまでに、水のモチーフが現れる。

浮き輪少女は、ヒロインの幼児体験に根ざした心象風景かもしれないし、そうではないかもしれない。
それより重要なのは、少女もまた、映画全体に通底する水モチーフを構成する要素だということなのだ。


『2001年宇宙の旅』(1968)は、食事についての映画だ。

大昔、『2001』の同人誌(!)を買ったら、そんな文章が載っていた。アメリカの女子大生が書いた卒論の抜粋だという。おそらく当時の『2001』業界(?)でそれなりに話題になっていたからこそ、日本のファンの目にもとまり、同人誌に引用されることになったのだろう。
言われてみれば、たしかにそうだ。食事の映画、とまで言い切れるかどうかはともかく、食事シーンを抜きに『2001』を解釈できないのは間違いない。

『ジェリーフィッシュ』も、そんなような映画だ。
水モチーフについて語らずして、ストーリーがどうとか言ったところで、印象批評にしかならないだろう。

つまり。
私は、『ジェリーフィッシュ』について語ることができない。
水モチーフか──ということまでは気づいても、そこにどういう意味があるのだか、さっぱり見当もつかない。
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2011年05月14日

【映画】邦画『アバター』と橋本愛

映画の価値とは何だろう、と考えることがある。

映画についての言説は、宣伝チラシやレビューを問わず、「あらすじ」が先頭に来ることが多い。
だが、映画の本質がストーリーにあるはずがない。
ストーリーであれば、小説やコミックはもちろん、朗読や講談や紙芝居の方が、よほど深く掘り下げて描ける。しかし、朗読や講読や紙芝居はマスメディアとしては駆逐され、映画は生き残った。ストーリーは映画を構成する大事な要素のひとつだけれども、最も大事というわけではない。

それを証明する映画のひとつに出会った。

アバター』……興行成績の世界記録を更新した、キャメロン監督の3D映画のアレではなく、山田悠介原作・和田篤司監督・橋本愛主演のソレである。
観客は、私を入れて2人だけだった。さもあらん。観に行った私にしてからが、その存在すら知らなかった。
一般的には無名でも、知る人ぞ知る作品というのはある。しかしこれは、知られざる名作というより、知られざる駄作。誰の話題にのぼることもないまま、このまま埋もれていくべき作品だ。

だが、この映画の価値は、主演の橋本愛にある。
そして、その失敗も。

橋本愛の存在は、ストーリーとは矛盾する。
ブサイクな女の子が、ケータイサイトのアバターにハマり、やがてアバターそっくりに整形までして、現実から遊離していくというサスペンス。そうしたストーリーはあるものの、主人公を橋本愛が演じることにより、ストーリー上の設定がまったく伝わらなくなった。

同じ役者が、整形前/整形後を演じる無理を糊塗するために、ヘア・メイクを極端に変えている。にもかかわらず変わりばえがしない。
カメラがずっと、橋本愛を魅力的にとらえようとしているからだ。
設定やメイクがどうあれ、カメラが橋本愛を魅力的だと思っているその距離感が変わらない。カメラは、設定より橋本、ストーリーより橋本をとらえようとした。
ストーリーを描くためであれば大失敗。
だが、映画とは、そういうことだと思う。

女優リリアン・ギッシュがあまりに魅力的で、カメラは彼女に近づきたくなった。
被写体との距離を縮めるためには、技術的なハードルがいっぱいあった。新しいレンズを開発し、フォーカス専用のスタッフをもうけ、カメラはじりじりとギッシュに近づいていった。
《クローズアップ》という演出技法が誕生した瞬間……。
映画史に刻まれている伝説の一つ。


ストーリーとか芝居のスキルとかではなく、主役が魅力的かどうか。
カメラが、あらゆる努力も惜しまず、主役との距離を縮めたいかどうか。
それが、映画の価値のひとつなのだ。
「『アバター』の橋本愛は観るに値する」
───そう言えるだけで『アバター』は、じつに映画的な映画なのだと思う。
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2011年05月11日

《節電》について (1)

中電・浜岡原発が停止されるとか。
いったん光明が見えかけた東電エリアの電力需給状況は、ふたたび不明朗になった。
政府首脳の、「健康になるためなら死んでもいい」的な対応に対する市民の感想は、昨日や今日のタブロイド紙の見出しがすべてを物語っているのではないか。
(とはいえ、決められたことには全力で従う。そのための秘策も考えてはいる)

2つ思うのは、

(1) 「節電」ではなく「ピークカット」では?

「25%削減」「15%削減」といった触れ込みばかりがひとり歩きすると、

節電実験、目標に遠く及ばず 「目標15%」実際は5%
http://mytown.asahi.com/areanews/niigata/TKY201104280605.html

みたいな、微妙に意味のないことが起こる。
喫緊の課題は大規模停電の抑止であり、《節電》ではないはずだ。
目的と手段の混同の典型である。
「欲しがりません勝つまでは」式にみんなで努力したとしても、結局停電してしまいました───では、どんな努力も無に帰す。
対応の誤りは人を殺す。停電時に命を落とす人が出るのはもちろんのことながら、需給に余裕がある状況ですら、やみくもな《節電》によって熱中症にかかって亡くなる犠牲者も出てしまうだろう。
「何%」というような《努力目標》を呼びかけること自体が無意味とは言わないが、本当にやるべきなのは、ピークに達しかけたときに、状況をいかに告知し、どういう優先順位で強制力をもって何をカットするかということのはずだ。


(2) 照明のスタイルを見直すべき

わが国のオフィスや家庭は、天井に照明が埋め込まれ、部屋全体を明るく照らす全体照明が主流になっている。

ヨーロッパ(とくにイタリア)ではいまでもそうであると聞くような、必要な箇所だけを必要なときだけ照らすスタイルに比べたら、どうしても電力消費は大きくなる。
なぜこうなったかというと、かつて、もっと電力が貧弱で、使える電力は天井から吊した裸電球1個だけ、という時代に「照明は天井に配するもの」という観念が定着してしまったのではないかと思う。裸電球1個を定点に置くことしかできなかったから、全体照明という形を取らざるを得なかった。
時代が移っても、それ以外の照明の配置のありようを検討しないまま、今日までずるずると来てしまったのが、わが国の照明事情ではないだろうか。

今回の事態を奇貨として、照明のありようを再検討してはどうか。
わが国でヨーロッパ式の照明の影響を強く受けているのは、多くの美術館や博物館。ああいうのを目指す。
まずは節電につながる。
たとえば白熱灯や蛍光灯から LED への代替が喧伝されているが、現時点の LED ライトは指向性が強く、全体照明の代替には向かない。だが、個別照明ならばお手の物だ。

それに、全体照明より個別照明のほうが、見ばえ上もカッコいい。どうせ暗くするなら、カッコよく暗くしたいものだ。
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2011年05月08日

ダイレンジャー1・2話のお問合せ


ダイレンジャーについて、「第1・2話は台本と完成作品では別物」という噂を聞きました。どのような変更があったのか教えていただけないでしょうか?

決定稿改訂稿
こちらは「決定稿」こちらが「改訂稿」
とのお手紙をいただきました。
ここでお答えしても、ご覧かどうかわかりませんが。

1・2話の台本は、脚本の杉村さんによる「決定稿」ののち、小林義明監督が改訂を加えた「改訂稿」が出されています。
噂というのは、これのことではないかと。

中身の違いは、ストーリーの変更等というより、謎の巨大球体だとか、ヨーヨーの子供が『殉恋歌』を歌うとか、そうした小林監督によるイメージをあらためて台本上に反映した感じです。


『ダイレン』について語らせたら止まりまへんで……。
ということで、権利関係無視で画像まで出してしまいました。(^^;
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2011年04月23日

《いま》私たちにできることは何もない

・『レッツゴー』80万人越え、本当にありがとうございます。
・出崎統監督、田中好子さんの訃報に接し、言葉もありません。
・松山さん+小雪さん、おめでとうございます。

……と、いろいろ思いはありますが、改めて述べさせてください。
以下は、最近つくづく考えさせられたお話。


とある映画の打上げで、とあるベテラン俳優さんが、「これだけは言いたい」とご挨拶に立たれました。
そのご挨拶の要旨↓

被災地を思えば、映画がどうのと語るのはバカバカしく思える瞬間があるかもしれない。
だが、そうではないのだ。
私が子供の頃、東京は空襲を受けて焼け野原と化した。だが私は、映画に希望を与えられ、人生の何たるかを教えられた。この年まで育つことができたのは、映画のおかげだ。
まず生きなければいけない・生活を立て直さなければいけないというギリギリの局面で、映画人にできることなど何もない。だが、ここを乗り切り、復興のプロセスに入ったときこそ、私たちの存在が意味をもつ。人びとに、明日を生き抜く希望を持ってもらい、人生について考えるきっかけを持ってもらう。
そのためにも、私たちはここにいるのだろう?


ご挨拶が終わった瞬間、会場はスタンディングオベーション。後輩の俳優さんたちが駆けつけて取り囲み、熱い談義が始まりました。

ずっともやもやしていました。

チャリティイベントをやるのもいい。応援メッセージを寄せるのもいい。何もしないより、何かをしたほうがいいには違いない。けれども、いわゆる映画界や芸能界は、映画・テレビ・演劇といったもののために存在するのであり、どんなすばらしい支援活動をしたとしても、しょせん《余技》でしかない。

TIME 誌恒例の「世界に影響を与えた100人」に、福島県南相馬市の桜井市長や、宮城県南三陸町の管野医師が選ばれたとか。
市長や医師という本業を、極限下でもまっとうしたからこそ、彼らは世界さえ揺るがした。
余技で何かをするのもいいし、私自身も公私ともに何かはせずにはいられませんけれど、それより「お前の本業の価値は何なのか?」と問われているのだと思うのです。

そうしたもやもやを、みんな抱えているさなか、「お前に《いま》できることは何もない」と、ズバリと本質に切り込んだ彼。さすがだな……と改めて心服したのでした。
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2011年04月01日

レッツゴー!

4月1日。
本日から、映画『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』が全国公開。
「全国」といっても、とくに宮城県では、まだ劇場の再開メドがたっていないと聞く……。

そんな状況にいろいろ思いがありつつ、それでも、この時期にこの映画が公開できてよかったと思う。

フィルム版が完成したのが3月18日。
震災の1週間後だ。
見て、自分がどれほど勇気づけられたかわからない。
そういうつもりでつくられた作品ではない。ましてや製作者であるはずの自分自身が、チェックのために見ているはずなのに、これほど勇気づけられるとは予想だにしていなかった。

4月1日、東映創立60周年。そして4月3日をもって『仮面ライダー』は生誕40周年を迎えると同時に、放送1000回を迎える。
偶然にしてもできすぎ……というノリでの公開予定だったはずなのに、まさか自分自身が、このタイミングでこの映画に出会えて良かったと、心から思うとは……。


正直、このご時世にたかが映画なんて、という思いが湧いたこともある。生活必需品とは最も遠いところにあるのが映画ではないかと。
が、確実に何かの意味がある。
むしろ最も大事な意味が。映画には。そして仮面ライダーには。
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2011年03月17日

おちゃめな Dell さん

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2月に注文したPCが、やっと配送予告メールキター!

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え……?
なんだ、とっくに配送されてたのかあw
まさかのタイムスリップ。「18日」のミスタイプと信じますが。

1ヶ月以上待ってしまったのは仕方ありません。旧式モデルにタッチパネルオプションというマイナーな注文なので。
ただ、注文時とは生活スタイルが一変。
いまやサブ PC なんてとんでもない。厚着して暖房を止め、明かりさえ消して節電につとめる日々です。NAS も必要なときしか電源入れない。今なら絶対に発注しません。
TV チューナー内蔵だそうなので、いっそメインマシン兼テレビにしてしまう手もあるかな?
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2011年03月13日

震災(2)

3月15日(火)に東京国際フォーラムにて予定されておりました『レッツゴー仮面ライダー』完成披露試写会は、今回の震災の影響により、中止とさせていただきました。
今後の対応については http://www.all-rider.jp/news/06.html をご参照ください。

思わぬ被害の甚大さに言葉もありません。
被災地域で救出・救護活動中の方々、原発で作業を行なっている方々に心からの応援を。海外からの援助に心からの感謝を。
英紙までが1面に「がんばれ、日本。がんばれ、東北。」とか。
私たちにできるアクションは募金や節電くらいしかないかもしれませんが、考えながら一つずつでもやっていきましょう。
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2011年03月12日

震災



コンビニ・スーパーからは、おにぎり・パン・総菜が払底。

帰宅難民向けに、オフィスを終夜開放している会社が! 代々木あたり。
落合あたりには、帰宅難民のために深夜まで営業する自転車屋さんも。

震災に遭われた方に、心からお見舞い申し上げます。

撮影所方面の被害は軽微。
セットは(本建築ではないので)どうかなと思いましたが、倒壊どころか全セット微動だにしておらず、面目躍如という感じです。
全国各地に散っている撮影隊の安全も確認できました。
岩手にいたクルーの車輌3台が津波に飲まれたようですが、ドライバーも事前の警報で避難して人的被害を出さずに済みました。
空の便が断たれ、北海道や鹿児島に釘づけになったクルーも、地元の方々の暖かいご支援をいただき、宿泊させていただけることになりました。

私は、キャスト&スタッフを送る臨時バスを仕立てたのに便乗して帰還。
自宅に帰ってみると、メインPCのメインモニタが床に落下して分解状態。映ってるのでよしとしますw
さすがにガスは止められましたが、電気・水道・FTTH といったライフラインが動いてるのは本当にありがたいです。
ニュージーランドの地震では NZD が売られ、さぞ円が売られてるかと思いきや、逆に円高が進行してるのは何なんでしょうね……。

まだ微妙に余震がつづいてるようです。皆さまどうかお気をつけて。
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