2011年08月24日

【映画】『モンスターズ/地球外生命体』はモンスターでも地球外でもない

最近、何かというとアメリカは宇宙人に攻められる。

終戦直後の日本で、海の向こうから来た巨大な怪獣が首都の中心部を破壊しつくす映画がリアリティを持っていたように、いまのアメリカ人にとって、アメリカとは相容れない何かがアメリカを破壊するというシチュエーションが、リアルな感慨をもたらすのだろう。
そうした映画群は、9・11後に生きるアメリカ人たちの世界観を私たちに伝えてくれてもいる。
(以下ネタバレあります)


たとえば、『SUPER 8/スーパーエイト』(2011)。
スピルバーグ作品へのオマージュに満ちた、ノスタルジックな映画という体裁をとりながら、劇中で少年が出会う宇宙人は『E.T』 (1982)のように米軍から逃げまどうどころか、逆に軍を翻弄して町を破壊しつくす。あまつさえ人を襲っては食糧にする。
そんな人食い凶悪宇宙怪獣に、主人公の少年はひとり心を寄せたりするが、彼は観客に共感してはもらえないだろう。
ここで描かれているのは、ストーリーラインとしては『E.T.』をなぞりながらも、人とは異質で/相互理解なんて不可能な/軍より強力で/生活の中心を直撃して破壊する/凶悪きわまりない──『宇宙戦争』(2005)の宇宙人像である。
スピルバーグもエイブラムスも、どれほど昔を懐かしんでも、もう『未知との遭遇』『E.T.』のころの牧歌的な宇宙人像には戻れない。
それこそスーパー8がディスコンされたように……。


『モンスターズ/地球外生命体』(2010)に登場する凶悪宇宙怪獣も、『宇宙戦争』型の、9・11後のアメリカ的宇宙人像に見える。
少なくとも、アメリカの観客はそう受け入れるだろう。

だが。
中米を占拠した宇宙怪獣は、木に子供を植え、川で育ち、遡上して密林で暮らしている。終盤、アメリカに脱出した主人公たち2人を襲うように見えるが、それは交尾の相手を求め、光に感応していただけだったとわかる(中盤、車列が襲われたときに主人公たちの車だけが助かった理由がそこで判明する)。
彼らは地球の自然に溶け込み、自分たちの生態を営んでいるだけだ。
だが、人間は彼らを敵対視する。それは、彼らがあまりに強大であることと、人間の側に彼らに対する理解が不足しているからなのだ。


主人公たちが滅びたピラミッドの上にのぼり、アメリカ側を見ると、宇宙怪獣の滲出を防ぐため、万里の長城のような巨大な壁を巡らせているのが見える。
“自然”に対して壁を巡らせ、境界を引くのが文明社会である。だが、そうした人為的な境界を、“自然”の側は一顧だにしてくれない。我々から理解し、融合を図らなければいけないのだ。そうでなければ、どんな勇壮な壁をめぐらせたとしても、中米のピラミッドのように、やがては遺跡になってしまうだけだろう。


タイトルこそ『MONSTERS』だが、劇中では徹頭徹尾、creature という言葉が使われる。
もとの意味は「神の被造物」だけれども、最近は creature of nature という言い方を目にすることが多い。人間-神-自然 の3者関係を前提すれば、自然は神により、人間に従属させるために創られたという理解の仕方もできる。だが、ここから神というファクターを外すと、自然が人間に従属してくれる理由がなくなる。人間の側から折れないかぎり、自然は人間に手を差しのべてはくれない。


中米〜アメリカを舞台にしていても、『モンスターズ/地球外生命体』はイギリス映画。
監督ギャレス・エドワーズもイギリス人。
ここ10年の、一連のポスト9・11アメリカン宇宙人映画は、アメリカ人 VS 非アメリカ人の、《文化の衝突》的な相容れなさを描いてきた。彼らは私たちアメリカンの生活の根源を破壊するが、けっして理解できない。ということは、私たちアメリカンは考え方を改める必要はない。なぜなら、アメリカンが非アメリカンの考え方は理解できないのだから……という《壁》をめぐらせているのが、9・11後のアメリカ人である。
その《壁》の意味を、あるいは二項対立の項の立て方を、大西洋の向こうから問うているイギリス人がいる。でも、けっしてアメリカ人には理解できない。
理解しなくて済むために、《壁》をつくっているのだから。


せめて日本人は理解しなければいけない。
アメリカ人は、想定外のものは敵とみなし、思考停止する。日本人は、想定外のものは「存在しない」とみなし、思考停止する。
この映画の字幕で、“infected zone”を「汚染地域」ではなく、「危険地帯」と超訳する配慮がなされているように。
だが、アメリカにとって9・11は過去のトラウマであったとしても、日本にとって3・11は現在進行形の事象である。

私たちは、思考停止してはおれない。
《壁》をめぐらせて事足れりとするわけにはいかないのである。


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高寺Pのオーダーで、Twitter のつぶやきを「批評」っぽく敷衍してみました。
posted by cron at 00:34| Comment(4) | TrackBack(0) | レビュー | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
オーズたのしかったです。
みんなと集めたオーメダル
宝物になりました。
冬の映画フォーゼとオーズ
楽しみにしています。
Posted by らーちゃん at 2011年08月28日 20:47
宇宙家族ロビンソンリメイク版もそんなに悪くないと思いましたが1998年ってなんかありましたっけ?
Posted by 北清隆 at 2011年10月27日 04:20
石ノ森章太郎先生が黒沢明が亡くなった年
Posted by 北清隆 at 2011年10月27日 04:50
最近、仕事がらみの話を避けすぎてつまらん
Posted by 北清隆 at 2011年11月01日 17:10
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