2010年10月03日

『大魔神カノン』 ある作業仮説

放送が終わったようなので(まだ20話くらいしか見ていませんが)。

『大魔神カノン』という番組そのものより、番組に対するリアクションの方に興味がある。
より正確に言えば、「なぜこんな番組なのか?」という声があがっていたことに。

以下は、「『カノン』に対する『なぜ』は説明ができる」ことを示すための作業仮説。
『カノン』評ではない。私自身、以下に述べることを本気で考えているわけではない。「説明装置がありうる」ことを示すための、ためにするコジツケにすぎない。
と、前置きが長いのは、「〜〜と考えることができる」と言うと「〜〜と考えている」と受け取られることが、察しの悪い私にもさすがにわかってきたから。

本題。

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『大魔神カノン』は、プロデューサー氏による、わが子への応援メッセージである。

仕事が忙しかったりとか、何らかの理由でプロデューサー氏はわが子に会えない。わが子が悩みを抱えていても、手を差しのべられない。そこで、番組を通じてわが子にメッセージを送ることにしたのだ。
「悩みはあるよね。でも君はいい子だ。俺(たち)だけはつねに君の味方だよ」と。
わが子の悩みが具体的に何かは不明だし、もっと言えば悩んでいるのかどうかすらわからない。親としては、そうした距離感をもどかしく思いながらも、真摯にメッセージを送りつづけるより他にすべがないのだ。

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ホントにそうかどうかは関係ない。
『カノン』に通底する原理を一口に言える、もっとも簡潔な説明装置はこれだというだけ。

ちなみに、同じ説明装置が『響鬼』(いわゆる前半)にもそっくり適用できる。
いま大学に進み、日々何かに悩んでいる《わが子》=カノンは、5年前、高校受験やら何やらで日々悩める明日夢だった(そのさらに5年前は、さゆる)。『カノン』が一見『響鬼』の意趣返しに見えるのは、軸が変わらないから。何歳になっても、親にとって、わが子はわが子なのだ。

繰り返すが、以上はあくまでも一つの作業仮説。
プロデューサー氏のお子さんが、明日夢やカノンと同年代かどうか知らない。仮に近しい家庭的背景があったとしても、だからといってお子さん個人に向けての発信を意図しているとはかぎらない。
ただ、「なぜ?」とか「好き・嫌い」でとどまっていては進展がないので、作品を評するなら、まず仮説を立てて、検証しながら進めていったほうが科学的なんでは? と思ってしまったしだい。

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